こんにちは。
花saku 編集部の大下直子です。
ふとしたことから文様のことを書き始めてもう4回目となりました。
いきなりですが麻は、「朝に植えれば夜には芽を出す」と言われる成長が早い植物の代表選手。そしてまっすくに伸びて、害虫や天災にも強いことから、麻の持つ生命力に託して、自分の子どもとか孫にその生命力を伝えたいという思いから子どもの着物や襦袢に麻を描くようになりました。
麻からは少し話が逸れますが(ぇぇぇええええ?(゚ロ゚) 今始まったばかりなのにもう話が逸れるの? 笑)
麻の葉考察のブログを書くにあたって、どうしても思いを馳せておかなければならないことは、子どもの生存率がとても低かった遠い昔のこと。
子どもの着物には、背守りや、付け紐の飾り縫いなどの習慣がありました。
背守りは背縫いの代わり。「背縫いのない着物を着ると魔がさす」ことから背縫いない一つ身の子どものきものに背守りを付けました。そもそも、悪いモノは、後ろからやってくると思われていたのですね。
ソーシャルディスタンスとか、マスクとかフェイスガードとか……、今は正面がとても重要ですが、とにかく昔は悪いモノは背中からだったのです。なんか、背中を向けておけば大丈夫みたいな感じってありますよね。エレベーターとかでも背中向けちゃいますよね〜。でも、昔は背中を守ったの!(笑)
そもそも、昔の日本は生まれてきた子どもの多くが成長するという現代と違って、生まれてきた子どもの多くが、物心もつかないうちに天国へ旅立ってしまう。そうしたことが珍しくなかった時代でした。栄養状態とか、環境とか、いろいろな原因があったのでしょう。
人形も、起源をたどれば「ヒトガタ」で、まさしくそれは人のカタチをした身代わりにほかならず、穢(けが)れを祓うために川に流したりなど、今はほとんど見られなくなってしまった習慣が各地にたくさんありました。
各地に残るお祭りにそうした祈りや願いや汚れを祓うなどの意味があり、日常生活や、知識からは消えてしまっても、そうした風習やお祭りには日本人の大切なことが残っているのだろうと思います。天皇陛下が毎日行う大小さまざまな宮中祭祀はそれら祭りの「核」ですね。
夏の花火だって、ボンボンバンバン上がっているだけじゃないんですよね。
コロナウィルスの感染拡大の影響によって、今年の花火やお祭りは中止になっているものが多いようです。コンサートや高校野球などの中止もとてもつらく悲しいことですが、祭りの中止はそうした「イベント中止」とは、ちょっと重みや意味が違います。(神事だけは執り行い、観光客の集まる表立った行事だけ中止というところもあるようです)
花火大会も減ってしまいそうな今年の夏、地元のお祭りや、行きたかった旅先のお祭りなどの、意味や起源をちょっと調べてみるのもいいかもしれません。
さて、生まれてきた子どもの生存率が低かった時代に、親は祈りと願いを込めて、背中から邪悪なモノが入ってくるのを避けるために、背縫いのない一つ身に紅白または五色の糸で背守りを縫い付けました。十二ヶ月を意味する12の針目を通すことになってました。産着の背守りの習慣はほとんど見られなくなりましたが、今でもお宮参りの一つ身には背守りがついていますね。
子どもの着物についている付け紐を縫い付けるときも魔除けのような願いを込めて縫いました。それらの模様の中に、麻の葉とよく似た模様が多く、直線縫いで一針ずつ、我が子の無事を祈って紐を付けたお母さんの気持ちを思うと、その文様そのものも愛おしく思えます。
正六角形が描き出す連続模様の麻の葉は、今では子どものきものや帯だけでなく、大人の着物にも、浴衣にも、帯にも……随分、たくさん描かれますね。
まだ、着物の勉強をさほど必死でする前から、なんか無意識のうちに私は麻の葉が気に入っていたみたいで
おなじみの、フェイスブックのプロフィール写真になっているこちらも、草木染めの大島紬ですがよく見ると麻の葉文様なんですよ。
今は二児の母になって子育てに奔走するノジマちゃんにチューしているこのあほ面も麻の葉文様。
後ろで笑ってる木越まりちゃんがカワイイ。
歌舞伎を観る前に「銀の塔」でビーフシチューを食べてるこのときの小千谷縮も麻の葉。
隣に寺島しのぶさんの旦那様のローランサンがピンク色っぽいきもので座っていてビックリしてしまった歌舞伎座のこけら落としの時も私は(失礼ながら?)結城紬で麻の葉文様。新しい歌舞伎座さんスクスク育ってねみたいな?
自分の持っている着物に麻の葉の絣がとても多いと言うことに気づいたのこの頃だったでしょうか。着物姿を写真に撮る習慣があまりないので、どなたかに声をかけていただいたりしないと撮るのを忘れてしまうのですが、
「なんか私の着物ってもしかして麻の葉が多いかな?」と気づいたら、まぁ、本当にあること、あること!!!
ちなみに、亡くなった母をおくるときに着せたのが泥染めの大島紬の麻の葉。
伯母たちが「もったいない」「やめときな」「直子が着ればいいじゃないの」というのを振り切って着せたのすが、この大島紬は、私が還暦を迎える母に誕生日プレゼントをした大島紬でした。母は一度も袖を通すことなく逝ってしまったので「生きていればまた買えるから」と天国へ着ていってもらったんです。
とにかく、やたらと多い麻の葉文様。
無意識のうちに麻の生命力と、美しい連続模様にひかれていたのでしょうか。あまりのワンパターンに自分でも呆れてしまいます。
シンプルで美しいけれども、書こうと思うとどうも上手くいかない麻の葉をフリーハンドで上手に書くコツを見つけたので貼り付けておきますね。まぁ、突如として麻の葉をフリーハンドで描きたいと思うことはないかもしれませんが、私は大好きなので上手に描きたい(笑)
麻の葉の上手な描き方
↑↑↑↑
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ところで、江戸時代中期に活躍した嵐璃寛(あらしりかん)という歌舞伎役者さん、上方の役者さんですが……
璃寛というのは、俳名で、役者としては璃寛を名乗っていないのですが……この方が「お染久松」のお染役を演じたときの衣装が麻の葉文様の着物でした。その後、町娘たちの衣装にも用いられて、通称「お染久松の帯」という黒い綸子の縁取りがある昼夜帯、ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。(ちなみに「璃寛縞(りかんしま)」というのもこの方に由来していますが、それはまた別の機会にネ)
また、2019年3月号の特集にご登場いただいた岩井友見さん。
こちらはこの特集をするよりもはるかに昔にご一緒した時のスナップショット(紙焼き時代)ですが、この頃はまだ『花saku』の編集には携わっていなかったんじゃないかと思います。(これは、麻の葉文様じゃなくて竪絽の付下げです。ということは夏ですね。なんか旅館や料理屋の仲居さんみたいですけど、好きな着物です。)
先だって岩井半四郎を襲名したので現在は十二代岩井半四郎となりました。
伝説のように語り継がれているのは、五代目岩井半四郎さんが演じた「八百屋お七」の火の見櫓の場。櫓に上っていくお七の浅黄色の麻の葉(鹿の子)は、あまりのインパクトに大評判を呼び「半四郎鹿の子」と呼ばれるようになりました。
またしても、文様のお話しを始めるとキリがなさそうで、「誰か〜〜〜〜〜〜っ 止めて〜〜〜〜〜っ」という感じ(汗)
そろそろ終わりにすることにしましょう。
まっすぐにすくすく育つ麻の葉がスクスク育つ季節がやってきました。
このブログを書いていたら、福島へからむし(麻)の焼き畑を取材しに行った時のことを思い出しました。
出張や取材で起きた事件はものすごくたくさんあって、からむしの取材もまた、ちょっと面白い話なんですけど今日は長くなりましたので、そのお話しはまた今度(いつなんだ?)。
お散歩をしていたらなんと、近所の路肩に麻が生えていました。
千葉県市川市中国分あたりです。
ではまたね(^o^)/~~~