日本全国の染と織の産地をご紹介します。
<日本全国染織探訪>
https://hanasaku-online.com/articles/index/12800046057
<日本の伝統工芸士を検索できるページ>
http://www.kougeishi.jp/
<日本伝統工芸士会>
http://kougeihin.jp/
【織】津軽こぎん刺(津軽刺し小巾)
青森県弘前市を中心にした津軽郡の農村で古くから行われている独特の風習の中で育った民芸品の一つで、その優れた刺繍技術は世界的にも高い評価を得ています。
半年を雪に埋もれて暮らす津軽の主婦や娘たちは、耐久力と防寒のために野良着の胸と肩の部分を藍染の麻地に木綿糸(または苧麻糸)で精巧な幾何学模様を刺し続けました。
津軽木綿
津軽藩は他国から木綿が流入するのを防ぐために、木綿の手織りを藩を上げて奨励したため、刺繍糸は苧麻糸から、徐々に木綿糸に変わります。
質実で、独特の風趣とパターンは、強靭な労働着でありながら、特に明治以降その華やかさと優れたデザイン性を高め、複雑な模様も生まれるようになり、 小物から帯、帯からきものとその技術を深めながらアイテムを広げました。
【織】南部菱刺
青森県から岩手県にかけて古くから伝わる技法で、津軽こぎん刺は白い糸で複雑な美しい幾何学模様を表現するのに対し、さまざまな色で、 菱形の模様を刺していくのが特徴です。
大小の菱形の組み合わせにより、矢の羽、猫の目、梅の花といった身近なものを表現しているのが面白いところです。
【織】南部裂織
青森各地に伝わる、再生織物の一つで、経糸には麻糸や木綿糸を用い、緯糸に、細く裂いた木綿の古布を使って丈夫な布を織り上げ、主に労働着として用いました。
古着の再生ということで、現代で言うエコロジーの精神から藩の奨励を受け盛んになりました。
まさに日本人の生活の知恵から生まれたのが裂織です。
古布を巧みに組み合わせて生まれる美しい色柄や、偶然性がもたらす美に注目が集まり、現在は帯として活用されています。
【染】南部紫根染(南部草木染)
ムラサキ科多年草の紫草の宿根を石臼と杵でつぶして色素を抽出し、晒しでこしてよく絞って染料を採り、何度も何度も繰り返し染めると、 やや渋く赤みを帯びた紫色に染まることからこう呼ばれました。
別名「岩手紫」とも呼ばれ、遠く飛鳥時代・鎌倉時代から、その美しく高貴な色は、 朝服として用いられてきました。
色彩が沈着優雅な深みを放ち、その染めムラに特徴があります。古くから、暗い気持ちを除き、疾病を祓うという言い伝えもあり、 縁起物としても珍重され、江戸末期までは藩の手厚い保護を受けるご禁制品でした。
紫草は、古くは万葉集や古今和歌集にも詠まれ、日本各地に生息していたことが伺えます。主に絞り染ですが、糸の段階で染める先染もあります。
【染】栗駒正藍染
奈良時代に行われていた技法を今に受け継ぐ自然の正藍染で、気温の高い真夏の2ヵ月間だけ、藍を桶の中で自然発酵させて染める。
(藍瓶をさまざまな方法で温めて一年中発酵させるのが一般的)
この技法を継承していた故千葉あやのさんは、嫁ぎ先で正藍染の原料である藍を栽培し、糸績みから染め、織りまでを手がけ、 昭和30年に重要無形文化財保持者に認定されました。
当時「正藍冷染」と呼ばれていたのが、昭和41年に「栗駒正藍染」に改名。
現在は娘の千葉よしのさんが受け継いでいます。
【染】紅花染
紅花は置賜地方の代表的な染料の一つ。
古(いにしえ)の女性の紅の原料として、また、現代では健康に良い油の原料として用いられる、まさに医食同源の原点です。
三世紀頃までは茜が赤色の染料の主流でしたが、六世紀頃に中国から紅花とその技法が伝えられて以来、紅花が主流になってきました。
紅花はキク科の二年草。夏に黄色い花が咲きます。
紅花で染められる色は黄色と赤。
花びらに含まれる黄色の色素を水に溶かして染め、 赤は花びらから黄色の汁を除いて残った紅色の色素を酸化発酵させ、「餅」にしてから色素として抽出します。
近年は、最上紅と呼ばれる最高品質の紅花の産地であり、古くから織物が栄えている山形県で盛んに染められるようになりました。
紅花独特の美しい風合いは千年の時を超え、女性達の羨望の的です。
紅花で染めた紬は「紅花紬」と呼ばれます。
【織】白鷹御召
図案からおこした溝の彫られたブナ材の板に、何日もかけて強撚糸を丁寧に巻き付け、平らな板をピッタリと重ねて、板締めという独特の技法で締め上げます。
これを「染め舟」と呼ばれる台に乗せて、ダイナミックな「ぶっかけ染め」を何回も繰り返して染めると、溝の部分にだけ染料が入り込み、板と板がピッタリと くっついた部分は防染されるため、見事にくっきりとした美しい絣糸が出来上がります。
これを機にかけて経緯絣に織り上げます。手機で絣を合わせながら丁寧に 織り上げた後、湯もみをすると、最大の特徴で「鬼シボ」の異名を持つ大きなシボが現れます。
【織】白鷹紬・白鷹上布
撚った糸ではなく、紬糸を使ったものが「白鷹紬」。
特殊な撚りをかけた夏御召が「白鷹上布」あるいは「夏白鷹」とも呼ばれます。
【織】長井紬
緯糸だけで絣を織りだした緯総絣の大柄が特徴で、絣は手括りの他、摺り込み捺染や型紙捺染も行います。
経糸は生糸。緯糸は紬糸または玉糸。
【織】米流
長井紬は、その品質が琉球紬によく似ていることから米沢の琉球を略して米流と呼ばれ、本来の長井紬よりも米流の名で広く知られるようになり、 いつの間にか長井紬と米流はそれぞれ独自の織物として発展しました。
真綿からの手紡ぎ糸、あるいは玉糸を用いた平織りで、絣糸は経緯とも板締めで作られます。
丈夫で銘仙よりも一格上の着心地の良い普段着として大正時代には全盛を極めました。
沖縄のような柄は江戸末期頃から織られていたといわれ、今もごくわずかに生産されています。
小千谷縮の磨き抜かれた技術を生かして江戸中期に始まりました。
長い伝統によって戦後さまざまな工夫と改良が施され、 美しく、新しい感覚の紬が生産されています。
多くは緯糸のみで絣模様を表す緯総絣と呼ばれる技法で、真綿の手紡ぎ糸と玉糸が用いられます。
※ 昭和50年9月4日 伝統的工芸品指定
小千谷織物同業協同組合
〒947-0028
新潟県小千谷市城内1-8-25 小千谷市伝統産業会館内
TEL:0258-83-2329 FAX:0258-83-2328
細番手の木綿糸を2本ずつ引き揃えて経糸とする「双子織(二タ子織、引き揃え)」で丈夫に織られる川越唐桟。通称「川唐」と呼ばれる縞柄を基調とした平織の木綿織物で、絹のような手触りといわれるすべすべとした風合いが特徴です。
もとはインド、東南アジアから島渡りして伝来したといわれる縞織物「唐桟留」。江戸末期に、川越の織物商がイギリスの長い毛足の木綿糸と鮮やかな化学染料に目をつけ、国産の縞織物をつくりだしました。その着やすさ、藍と鮮やかな色を組み合わせた柄行、手ごろな価格が江戸っ子を魅了し、大流行となりました。しかし、時代の変遷と共に、昭和初期にはその姿を消し「幻の川唐」とまで呼ばれるほどに。昭和末期に一軒の機屋(現在は閉業)による機械織と、市民活動による手織りの両方で復活を果たし、現在は地元の呉服店がその製品を守り伝えています。
〒350-0063 埼玉県川越市郭町2丁目30-1
TEL:049-222-5399かつて養蚕が盛んで、太織という野良着が織られていた秩父。大正から昭和初期に「秩父銘仙」という名で当時の女性を魅了したのが、自由で大胆な色柄の楽しさとリーズナブルという魅力を兼ね備えた織物でした。
「ほぐし捺染」ともよばれる製造方法は、まず真白な経糸を仮織りします。そこに型を使って防染糊を置き、染色します。その後、仮糸を抜いてほぐしながら本織りをすることで、色柄が微妙にずれて絣柄のような味わいを生み出します。花柄や玉虫色の独特の光沢を発するものが多く、どこかレトロな雰囲気のある織物は、いままた時代に合わせた新たなデザインで生み出されています。
※指定条件
<無地銘仙、縞銘仙>
1-1. 先染めの平織りとすること。
1-2. 糸の精練及び染色は浸染によること。
1-3. よこ糸の打ち込みには、「手投杼」若しくは「踏木による飛杼」又は有杼織機を用いること。
<模様銘仙>
2-1. 平織りとすること。
2-2. 糸の精練及び染色は浸染によること。
2-3. たて糸は、仮織りした後、「解し捺染」を行うこと。
2-4. よこ糸の打ち込みには、「手投杼」若しくは「踏木による飛杼」又は有杼織機を用いること。
2-5. 製織は、「解し織り」によること。
〒368-0032 埼玉県秩父市熊木町28-1
TEL: 0494-21-2112
http://www.meisenkan.com(ちちぶ銘仙館)
「長板中型(形)」という長さ6.5メートル、幅46センチの長い板を使って、浴衣地などに藍染めをする染色技法のひとつ。「江戸中型」「長板本染中型」とも呼ばれ、小紋より大きめの柄が主でした。
長く重い板を使って、反物の両面に寸分違わずに型付け(防染糊を置く)をするには、長い経験と技術を要します。浴衣な軟水が流れる土地で、かつて農閑期に始められた染色業。「注染」と呼ばれる機械を使った染色技術の発展と共に、難易度の高い長板中型染は減少しましたが、いまも吉川市、八潮市、三郷市に残され、数名の職人がその技を受け継ぎ、現在は絹や麻にも染められています。