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日本全国染織探訪 北の風と南の海と

強い土壌から生まれる美しい布
木綿織 (栃木県 真岡市)  中里 陽子さん

北海道の最北端から沖縄本島まで約2,400Km。

日本には、その土地土地に伝え継がれてきた『染め織り』を今も守り続ける人がいる。

そんな作り手たちを訪ねながら、東へ西へ北へ南へと日本を行く探訪紀行。

このページではウェブ限定コンテンツとして、取材時に撮影した動画を公開!

生産者や職人の方々の生の声、作業をしている姿などをご紹介していきます。

<型絵染> 澤田麻衣子(型絵染め工房 彩苑)/ 京都右京区


<型絵染> 
着る人に思いを寄せて

澤田 麻衣子型絵染工房 彩苑(さいえん)京都市右京区

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「蘭々模様」(『着物手帳 2019』表紙柄)

 

 ぱちりとつぶらな瞳を見開いているかのような、可憐な蘭の花がほほ笑む小紋柄。遠目には、左右に手を広げた葉の曲線が波文様にも、七宝文様にも見えてくる。葉や茎が描くなめらかな曲線、花の首の傾け方。微妙な色が溶け合う表情。染色家 澤田麻衣子さんによる「蘭々模様」には、どれほど見ていても飽きない心地良いリズムが感じられる。

「うちの職人が独立するので、応援してやってください」と和風紅型の「栗山工房」から紹介されたのが澤田さんだった。初夏の昼下がり、自宅兼工房の「彩苑」へ向かうと、澤田さんのほっとさせてくれるような笑顔に出迎えられた。

 まずは二階の一室へ。そこには見たことのない不思議な木枠の装置に、伸子張(しんしば)りされた反物がセットされていた。

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5mの反物が送り出される、彩色用作業台

「これがあればどこででも作業できるからと、栗山工房の社長が作ってくれたんです。本当に優れものなんですよ」と澤田さん。筆をとると、流れるようなテンポで色を挿(さ)し始める。手が自動的に動いてしまうといった感覚は、栗山工房で腕を磨くうち身についたものだろう。

「故郷を離れる時は、染色家になるとは思ってもいませんでした」と今までのことを聞かせてくれた。

 

きもの好き少女から、染色家へ 

 新潟で生まれ育った澤田さん、きものへと続く道は和裁ができた祖母と、美容師で着付けもこなす母の影響が大きかった。小さな頃から仕事場へついて行き、きものを見るのが大好きだった。早く自分もきものを着たい、きものが欲しいと憧れていた。忙しかった母だが、澤田さんが風邪を引いたときは「きものは暖かいから」と着せてくれた。中学生になると、自分のゆかたをつくってもらって出かけたワクワク感が忘れられないそうだ。

 地元で高校を卒業すると、北海道の短大の美術コースへ入学し、シルクスクリーンを学んだ後、さらに東京の文化服装学院生活造形学科テキスタイルコースへ進むが、当時隣のクラスの授業、手作業による染色が気になって仕方なかった。

 卒業後は、一度帰郷し広告代理店へ就職するも、時問に追われる仕事で体調を崩し退職。母の美容院を手伝いつつ、やってみたかった染色教室を地元で探して通い始めた。想像以上に楽しかった。半年後、めきめき上達する澤田さんに先生が「本気で続けたいなら行ってみたら」と紹介してくれたのが栗山工房だった。

  迷いなく京都へ移住し仕事場へ入るが、 教室で習ったことと、職人仕事は全く別物。ほとんど役に立たず、また一から習う、慣れる、の繰り返し。彩色希望で入ったが、一年間は下仕事をたたきこまれた。 きものや帯だけでなく暖簾やその他、あらゆる素材、さまざまな製品を量産できる体制の中で数多く仕事ができたことで、 作業の流れも、「栗山カラー」とよばれる配色バランスも、身についていった。

「仕事の合間に、自分自の作品をどんどんつくれ」と社長の二代目 栗山吉三郎(くりやまきちさぶろう)氏に勧められ、アドバイス受けた。ゆかた、きものと作り始めると型に面白さを感じていった。

一方で着付け教室に通い、仲間から聞こえてくる声を活かした作品で、クラフト展や公募展へ出展し続けた。

 2007年頃に熊本での展示を見た方から、同じものを作ってほしいと連絡いただいて。天にも昇る気持ちでした。その方とはいまも、いいお付き合いをさせていただいています」としみじみ。

 2016年、呉服店ときもの雑誌が企画した公募展で賞をとったことを機に、 独立を果たした澤田さん。名前が広く知られることになり、人気は急上昇。仕事が増えた一方で、考えることもあった。

「わかっていたつもりでわかってなかったのが、会社に所属していた有難みでした。精神的にもそうですし、作業場を使わせてもらっていましたが、一切合切を自分でまかなわなければならなくなりましたから。そして『20年で身についた栗山カラーと自作の転換が難しいだろう』といただいていたアドバイスも、自分ではできているつもりでしたが、やっぱりできていませんでした。でもね、仕事は予想外のことがあって当たり前です。なんとかする、なるようにする、と決めて日々進んでいます」とまっすぐ前を向いている。

 
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清楚ながら力強い「てっぽう百合」

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ワインボトル、オープナー、イタリア地図がユニークな「vino2」
 
 その名のとおり、絵を描くように作家の個性を出しやすい型絵染は、図案描きから型彫り、糊置き、彩色、地染めと一連の作業を作家本人がする。作家一人の手による緻密な作業の連続で、同じ柄を染めても最終的には、作家の技量と感性がにじみ出てくる。

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窓ガラスに透ける型。どんな色が染められるのだろう

「きもの自体、ぜいたくなもの。着てくださる方には、心から楽しんでほしい」

 きものを着たくてしょうがなかった少女はいま、自分と同じようにきものを愛する人を思い、丁寧な作業とみずみずしい感性で、一点ずつ仕上げている。

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「最近、インドネシアのバティック(更紗)やブロックプリント(木版)を取りこんでみたら、素朴で面白い表現が出て公きました。手仕事の美しさが存分に表れるようなものにチャレンジしていきたいです」と話す澤田さん。

形の美しさだけでなく、もっと奥にあるものに触れたい。日々の暮らしの中で感じる風や、光の美しさ、ふとした瞬間の楽しみも作品へ循環させて自分のカラーとして出していけたら、と思っているそうだ。これからも迷うことすら楽しみながら、ますますきもの女子の心を躍らせてくれるだろう。

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 バティック柄をアレンジした「花と鳥

*問い合わせ先
廣田紬 株式会社
 

(『花saku』2018年11月号掲載より)

<江戸染色> 染の里 二葉苑 / 東京都新宿区

<江戸染色> 二本の川が落ち合う「染めの町」で

染の里 二葉苑 東京都新宿区

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江戸更紗訪問着

 新宿区高田馬場駅から高架を走る西武新宿線は、程なくして神田川を越える。 さらに一駅目 下落合に近づく前からは、妙正寺川と並走。車窓を眺めていれば、 いまも染色業を営む家屋を見つけることができる。今回の取材先「染の里 二葉 苑」も、二駅目 中井に到着直前の川沿いにある。中井駅から庶民的な商店街を 抜け、風情ある妙正寺川を横目に徒歩5分足らずだが、その間にも小さな染色工 房や蒸し屋などが並ぶ。

 着いたのは染色業が行われているとは思えないモダンな建物。立派な門構えを くぐると、すぐにガラス張りの工房が見渡せる仕組みになっている。2020年版『着物手帳』のコラボ協力先として打ち合わせを兼ね、取材させていただいた。

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迎えてくださったのは、四代目の小林元文さんと奥さまの慶子さん。口数少なく柔らかな物腰で職人気質の元文さんと、明るく分かりやすい会話でもてなしてくださる慶子さん。このお二人によって、これほど明るく開かれた工房として生きいきしているのだと感じられた。

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二本の川の間で
 

「落合には、かつて300軒を超す染色業者が住みついて、川のあちこちで反物の余分な染料や防染糊を洗う『水元」の作業が見られました。いわゆる友禅流しですね。現在残っているのは10軒ほどです。けれど職人さんたちの高齢化が案じられているとはいえ、いまもこの地一帯の町に支えられ、残り続けられていることがとてもありがたい」と元文さん。
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 新宿区の地場産業である染色業。いまも「東京染小紋」「江戸小紋」「江戸更秒」「江戸紅型」「江戸刺繡」「東京手描き友禅」「東京無地染」「東京浸染」「引染」といった技法と共に、「洗張」「手描き紋章上絵」「染色補正」「湯のし」といった裏から支える専門職が残されている。お互い にライバルというより、同志としてなくてはならない存在となっている。

 いま二葉苑が得意としているのは主に、 江戸更紗、東京染小紋、江戸小紋。 「江戸小紋の魅力は、裃からくるきりりとした身の引き締まるような厳しさ、品 の良さ、江戸前の渋みと粋である」という、先代で染色作家として名を馳せた小 文次郎の言葉を胸に刻みつつ、新鮮さを感じさせる染め。いまこの落合の土地 で染色業を続けられていることの意味を問い続けている。その答えが、職人と一 般のお客さまが同じ工房で染めを楽しんでいる光景にあるのかもしれない。

 

小紋柄に隠された 

江戸の粋 面白がり

    これまで四代に渡り営んできた染色業。代々大切にしてきた型は数百枚はあるという。その中から、手帳柄用にと少しユニークな文様もセレクトしていただいた。江戸の人たちが、花鳥風月、自然の美しい風景はもちろん、扇や団扇、傘、煙管、面などの身の周りの器物といったものまで、実に見事に文様化し、自分たちの「衣」の中にうまくデザイン化してきた型。長年溜められた型の中には、何の柄か分かりにくいものもあり、小林夫妻に聞いてみると「何でしょうね。好きなように名前つけて使っていただいていいですよ」と実におおらかなお答え。2カ月分の柄を選ぶにも「この紋様は1月で霜柱。この松文様は2月でクリスマスのモミの木に、どうでしょう」と見立てていく。

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 こうした日本文化にとって大切な「見立て」を面白がる精神。梅なら梅を、い くとおりにも紋様化し尽くす心意気も、江戸の染色デザインを発展させてきたひ とつの要因かもしれない。

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   来年2020年に迎えるオリンピック、 パラリンピックのシンボルマークにアレ ンジされた組市松紋様も、いま二葉苑で次々と染められ、令和の市松紋様が生ま れている。シンプルな紋様だからこそ面白がる余地があると、まだまだ江戸の染め職人の心意気を見せてもらえそうだ。



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江戸更紗九寸帯


*問い合わせ先

一般社団法人 染の里 おちあい

2020年創業100年を迎える染の里二葉苑は染の里おちあいに生まれ変わります

161-0034 東京都新宿区上落合2-3-6

Tel. 03-3368-8133

 

(『花saku』2019年10月号掲載より)
 

 

<京のきもの、帯> 「SCOPE COCO スコープ・ココ」加納寛二 / 京都市右京区


<京のきもの、帯> 
伝統を大切にしながら、はみだし、超えていく

SCOPE COCO / 加納寛二京都市左京区)


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 京都西陣の地に創業して約130年。伝統的技術により帯製品を主軸に和装全般を創作し続ける老舗「加納幸(かのうこう)」の次男として 生まれ、そのものづくりの哲学を受け継ぐ加納寬二氏。大学卒業後にきもの製造問屋で5年程修業し、加納幸に戻り3年後には工房「スコープ・ココ」を立ち上げて以来、第一線を走り続けている。

 当時珍しかった、きものの「トータルコーディネート」。洋装の概念を柔軟に取り入れながら「いま」を生きる女性の感性に訴えかけ、「いま」着てみたいと思われ るきもの、そう思しれ続けるものづくりに対する氏の思いをうかがった。

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「加納幸では元々、帯だけを製造していま した。当時、きものはきもの、は帯と 別々に製造するのが常識でしたので。一方、 ヨーロッパの洋服のブランドは洋服から靴、バッグまでトータルで作ることでブランドコンセプトを強く打ち出していた。そのよ うな背景もあり、きものもそのようにトー タルでご提案したほうが、より作り手の思いがお客さまに伝わるのではないか、こいうきものにはこういうバッグを持ち、こういう小物を合わせたほうがより美しく映える、そんなトータルなご提案をするほうが喜ばれるのではないか、という考えから立ち上げたのがスコープ・ココです」 

 

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国境を越え「ほんももの」の素材を求める 

もの作りを支える「守破離」の精神 

 

 氏のもの作りを支えるキーワードとなる のが「守破離」である。元々は武道や茶道 における精神のひとつで、「守」は伝統を 受け継ぐこと、「破」は革新的であること、「離」はオリジナリティーを意味する。

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ビジュー刺繍/熟練の職人によって、ビーズ一つひとつ刺繍していく。

「私が意識しているのは、守破離。伝統を守り、殻を破る、そして離れる。つまり独創性ですね。伝統を守りつつも新しい何か、革新的な何かを生み出していく。そのひとつの試みとして、20年程前に始めたのが『ビジュー』です。ビジュー(Bijou)とは、フランス語で宝石・装飾具のことですが、その概念を日本に持ち込み、卓越した技術をもった日本の刺繍職人の手作業によって、一つひとつ、帯に装飾を施した逸品です。おそらく日本は初めての試みだったのではないでしょうか。ただ当時は、まだ少し早かったんですね。ですがここ56年くらい前から多くの方々から支持されるようになりました。あと世界で一番軽くて 薄いといわれるムガシルク。ムガシルクとはインドのアッサム地に生息する野蚕(やさん)『ムガ蚕(さん)』の手紡ぎされた糸、あるいはその絹織のことです。人の手で丁寧に紡がれた細い糸の色がそのまま、金色の輝きを放ち、あせることがないので『ゴールデンシルク、『シルクの宝石』とも呼ばれます。この素材と出合ったのは、今から20年くらい前になりますが、今では多くの人に知られるまでになりました。もうひとつ、当社ならではの素材として『本羅』があります。この素材は古くは聖徳太子がお召しになったといわれており、正倉院にしか納められないような逸品でした。これもご縁があった織職人と再現しようという話になり、生まれたものです。大変軽く丈夫で、透け感のある美しい素材です。こういった日本の伝統技術が継承されるからこそ、かつてない素晴らしい素材が出来上がる。私たちはそのことにもっと誇りをもつべきですし、こうしたものづくり をとおして、その伝統技術を見直すきっかけづくりになれば」 

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だんまる染/松ヤ二の樹脂で、白生地の段階で柄を伏せていく。樹脂の厚さで染めつきが違う。厚く伏せた箇所は白生地の白が残り、薄く伏せた箇所は少し染まる。味のある染めが特徴。

いま着たい

そう思われ「続ける」きものとは 

 

 今年の夏は異様に暑かった、と人々もマスコミも声高に言う。ただそれはここ最近、聞かない年はない言葉でもある。それほど日本の気温は年々上がりつつあるのを皆が体感している現代。そんな「いま」においても、昔から続く和装文化、きものを着る、しかも心地よく着るはどういうことか。もちろん伝統にならう心構えや昔ながらのしきたりを大切にする心も守りたい。

ただ、やはりずっときもの文化が多くの人に支持され、広がるためにも「いま」という時代に合わせ、心地よく着てもらうための工夫も必要ではないか、と加納氏は問いかける。 

「うちは非常に軽い素材『先練り』を使った単衣を15年ほど前から制作しています。先練りとは、先に生糸を練って外側のたんぱく質成分(セリシン)を取ってから布を織ることで、生地は透けるほど薄く織られても、シャッキリとした張りがある。そのため単衣に仕立てると非常にしなやかで美しい仕上がりになります。しかも軽くて着心地がいい。夏の暑い時季などは透けるということを相手に見せる、そうして見た目にも涼やかな印象になります。透け感が気になる春先には、濃い色や同色のお襦袢を合わせることで透けて見えるることはありません。

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 きもの本来の常識からすれば単衣は6月ごろから、とされていますが、やはり温暖化もありますし、昔ながらの単衣の時季、裕の時季に固執することなく『いま』の気候に合った着方、工夫を凝らすことで、きものを長く楽しんでいただければ。軽く着心地のいい単衣は、実際に多くのお客さまからご支持いただいています。単衣の時季が非常に長くなっていることを懸念しても、やはり弊社で製造している95%が単衣であり、それだけ単衣がお客さまに支持されていることを考えると、私の持論ですが、洋服であれば、暑いときにはシャツ一枚の時季があるように、守破離の『離』として、きものもやはり暑い時には着心地も見た目も涼やかなものを、寒い時季には寒いなりのものを着ていただくほうがやはりファッションとして生き残ることができるのではないか、と」

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 時代にもフィットした「のびる襦袢」を 生み出し、春先から秋口まで涼しく長く着ることができる単衣の提案。2013年に、ワコールと共同開発した和装インナーウェア「和らんじゅ」も快適な着心地を追求したシリーズとなっている。ここでも、やはり「守破離」の「離」。伝統を重んじつつも、軽やかに「暑さ」という課題を超えていく。さまざまなアーティストやブランドとのコラボレーションも、そこをとっかかり、つまりは入り口して新しいきもののファン層を開拓するためだ。音楽やほかのジャンル、異文化と融合することで生まれる批判も受け流しつつ、実際は「きもの 文化」自体の底上げをはかる加納氏の意図 が見え隠れする。 

 

 

京町家ギャラリー 

「唯一無二」をつくった想いとは

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 京町家「唯一無二」は、古い町家建築を改装し素材の風合いで室内に川と美を創り出す、世界で唯一つの和空間となっている。その造形の美しさは建築の専門誌に取り上げられるほど。細部にまで意匠を凝らした造りに日本の伝統美である和モダンインテアをあつあらえ、賛を尽くした空間ながらも凛とした雰囲気が漂う。 

「伝統と未来、文化と芸衛がかさなり合う ギャラリーとして、唯一無二の場になってほしい。日本文化の真髄に融れられる和の発信基地であり、新しい才能や可能性の起点となって、さまざまざまなご縁を結ぶ場になればという思いでつくりました」

 単にものづくり、で終わらず、いいものと出合える「場」もつくる。そうすることで、きものにとどまらず、日本の伝統文化の何かしらの起点となり、そこから波紋のように縁や輪が広がっていくのが、氏の狙いである。

 

 

生地も糸も自社で制作するからこそ、

生まれるオリジナリティー 

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ムガ蚕糸を仕入れに現地のインドまで。

 何か課題がある、それを超えるために、 まったく今までにない別視点を持ち込む。 解決するための何かを外へ、外へ求め続ける。その姿勢があるからこそ、伝統技術を結集させながらも、そこから離れ、「いま」を映しだす結晶のような、あふれる情熱と鮮烈さを感させるきものが加納氏の手によって生まれ続ける。 

 何より、まったく新しい印象を与えなが ら、きものの「染・織・繍」といった技術 や、意匠あふれる伝統技術を用いた織生地、 絹糸などを使うことで、「いま」着たいと思われることこそが、「技術そのもの」も 次世代に継承されることにつながりうる。 素晴らしい伝統技術を残すためにも、新しいものを生み出すためにも、守破離の 「離」が核となりそうだ。 

10年ほど前、私自身きもの文化は廃れていくかもしれない、需要がなくなってしま うかもしれない、という懸念がありました。それでも、これだけ根強くファンの方がいて、今となっては海外を含めた多くの方から支持されています。今後の課題は、ものづくりを続けるために『伝統技術を未来につなげていく』こと、そてしてこれからも、きもの文化が発展していくこと、そのためにも新しい何かを提案し続けるのが使命だと思っています」

 加納氏の仕事は、今後も多分や海外あちこちで化学反を起こしながら、多くの人を魅了し、広がっていくにちがいない。

 

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京縫(きょうぬい)/絹糸や金糸、銀糸を使い30通りもの技法を駆使した完成度の高さ。京都と同じく刺繍文化が盛んなフランスでは針を刺す際に片手で刺すのに比べて、京繍は両手を使って布の上下へと自在に刺し進めることで、より繊細な表現が可能。

 

 

 

SCOPE COCO

1889(明治22)年、加納安治郎が京都西陣の地で創業したことから加納家の織屋の歴史がはじまる。長男の嘉一郎が業を盛んにし、さらに息子である義一、幸一兄弟が共同で継承。1949年には弟の幸一が独立し「加納幸」を設立。その歴史ある旧家の次男として誕生した加納寛二。日本大学卒業後に染色家・西村正人氏、金彩工芸家・道家康人氏に師事。1981年には、(株)加納幸に入社し、織物の研究に専念。それから3年後の1984年に工房「スコープ・ココ」を興す。伝統と独創性を融合させたオリジナルの模様とセンスが国内のみならず、海外からも注目を集め、世界的に有名なファッション雑誌「ヴォーグバリ」に和装ではじめて掲載。さらにはニューヨーク「メトロポリタン美術館」の日本館オープンに際し、作品を出展。それらの功績が認められ、代表である加納寛二は、日本文化デザイン会議の会員となる2010年には、上海万博に和装ショーで参加。近年は中国をはじめ、インドやエジプト、ヨーロッバ諸国の文化や素材を取り入れ、独自の観点と感性に西陣の技術を加えて、他にはない作品を作り上げている。

 

文/上田 恵理子

撮影/久保嘉範

*問い合わせ先

株式会社スコープ・ココ


(『花saku』2018年12月号掲載より)